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本当に作りたいフィッシュマンズの映画が完成した!『映画:フィッシュマンズ』茂木欣一さんと手嶋悠貴監督を迎え公開記念舞台挨拶開催!

2021年7月10日

1987年に結成され人気を博すも、ボーカルの佐藤伸治さんが急逝したことで活動休止を余儀なくされた伝説的バンドである“フィッシュマンズ”の足跡を辿る音楽ドキュメンタリー『映画:フィッシュマンズ』が7月9日(金)より全国の劇場で公開。7月10日(土)には大阪・梅田の梅田ブルク7に茂木欣一さんと手嶋悠貴監督を迎え、公開記念舞台挨拶が開催された。

 

映画:フィッシュマンズ』は、孤高のバンド「フィッシュマンズ」に迫るドキュメンタリー。1987年に結成され、1991年4月21日にシングル「ひこうき」でメジャーデビューしたフィッシュマンズ。ほぼ全ての楽曲の作詞・作曲を担当していたボーカルの佐藤伸治さんが1999年に急逝したが、バンドは活動を続け、デビュー30周年を迎える現在も音楽シーンに影響を与え続けている。映画は2019年2月に開催されたイベント「闘魂2019」のリハーサルから撮影を開始し、同バンドが結成された明治学院大学の音楽サークル「ソング・ライツ」の部室や、渋谷La.mama、渋谷クラブクアトロ、三軒茶屋クロスロードスタジオ、VIVID SOUND STUDIO、日比谷野外音楽堂といった縁の地をメンバーとともに訪れインタビューを敢行。現・旧メンバーが当時について振り返るほか、関係者が保管していた100本以上にも及ぶVHSなどの素材をデジタル化した未発表映像を多数収録。

 

上映後、茂木欣一さんと手嶋悠貴監督が登壇。完売御礼状態の客席を眺めながら感無量の状態になりながら感謝の気持ちを伝え、本作に対する存分の思いを込めた舞台挨拶が行われた。

 

大阪は、フィッシュマンズや東京スカパラダイスオーケストラの一員として何度も訪れている茂木さん。フィッシュマンズとしては2019年9月の「OTODAMA ’18-19~音泉魂~』に出演して以来の大阪となり「お客さんの皆と直にふれあった最新のLIVE」だと思い返す。劇場には当時参加したお客さんも来ており「良い天気だったよね、あの時はね。あの記憶が僕の中では鮮明に残っでいるので。今日皆さんと会えて、今どうしたいかと云われたら、LIVEがしたくてしょうがないですね。大阪の皆さんとお会いできて今とても嬉しいです」と感慨深い。手嶋監督も現地を訪れており「僕もいました。もしかしたら映画で使うかもしれない、と思ってカメラを回していましたね」と明かす。

 

映画制作費の一部をクラウドファンディングを用いて募った本作。手嶋監督は、2018年の夏にプロデューサーの坂井利帆さんとの仕事をしていく中で、フィッシュマンズを映画にしたいという話を伺ったが「資金は無かったんですよね。どこから集めるにしても、集まる見込みがないという話になっていた」という話を聞く。監督が通っていた大学院の後輩である大高健志さんがクラウドファンディング・プラットフォーム「MotionGallery」を運営しており、相談に伺ってみると「フィッシュマンズはクラウドファンディングで作るべき映画かもしれないから、一度やってみましょう。絶対集まると思いますんで」と応じて頂き、出資を募り始めた。茂木さんは、クラウドファンディングの内容を知り「ファンの人達とか気になっている人達がお金を協力してくれるということは、むしろその期待に応えられる映画をこっちでがっつり作ればいいんだな」と発想。「クラウドファンディングで協力してくれる人は、細かいことは云わずにきっと『良い映画を作れよ』と言ってくれるだけだよ。本当に作りたいフィッシュマンズの映画が出来る」という期待と同時に「どれぐらいクラウドファンディングで資金が集められるんだろう」と不安もあった。結果として、1,800万円を超える金額が集まり「本当に沢山の協力があって、こうしてこの日を迎えている。ただただ嬉しくてしょうがない」と現在の気持ちを語っていく。

 

とはいえ、本作に対するファンの思いに対して、茂木さんは「本当に自由にやれるんだ。その責任も物凄く大きい」と感じており「監督は制作するにあたって、まずフィッシュマンズの歴史を全て、結成から現在までを全て頭の中に叩き込んだ。おさらいする作業が何ヶ月ぐらい?凄いことだよね」と感心。手嶋監督が「半年ぐらいかけて」と明かすと、茂木さんは「半年ぐらいかかってフィッシュマンズのことを全部勉強してくれた。インタビューも全て一対一でやる。とにかく歴史を全部頭に叩き込んだ監督が質問する。昨日今日でフィッシュマンズを知った人じゃない。今一番フィッシュマンズに詳しい人がインタビューをしている、という信頼関係は、この映画を作るに関しては大きかったですね」と力説する。

 

完成した本作を観た茂木さんにとっても今まで知らなかったことがあり「誰がこうした、どうした、こういうことがあった、とかは当事者だから分かっていること。だけれども、例えばメンバーが脱退するまでの彼等の心の揺れ動きは正直あまり深く聞いたことがなかった」と告白。しかし「本人達の口から語られてるというのがこの映画の物凄い大きなポイントだと思うんですよ。実際に本人が語っている。僕にとっても大事なことになる」と確信し、インタビュー前には、メンバーや当時の関係している人達に「カメラの前で一度だけでいいから、今まで語ったことのない胸の内を話してくれないかな」と伝えた。ファンの人達による出資の映画について「何が協力できるかな、と思った時、フィッシュマンズ公認のドキュメンタリーを作ることが大事」だと誠心誠意を持って取り組んだ。

 

フィッシュマンズについて調べていく中で、手嶋監督は「調べれば調べるほどフィッシュマンズって分かんなくなってくる。僕も初めてフィッシュマンズと出会ってからあまり深堀をしたくないようなバンドだなと思っていたんですよ。もしかしたら皆さんの中にも僕と同じ感情の方も後追い世代の方達でいるかもしれないんですけれども。映画を作るからには知っていなきゃいけない。だから全て調べ上げて自分の頭の中に叩き入れようとするんですけども、どうしても分かんなくなってくる」と吐露。そこで、茂木欣一さんというミュージシャンが存在している時にフィッシュマンズの記録を残しておく意味を考え「もしかしたら、10年後20年後経った時にフィッシュマンズに出会った若い子達が、あのバンドってどういうバンドだったんだろう、音は凄いんだけれども凄まじい普遍的な音を出すんだけれども実際にどういう人達がどうやって作ったんだろうと思った時にこのような映画がひとつ残っていればいいのかな。また次の世代の方達もフィッシュマンズを聞けるんじゃないか。ちゃんと出会えるんじゃないか」と意識して制作していった。ナレーションを挿入して物語を進めていくことはせず「インタビューは基本的に結成前の出会いから現在に至るまで丁寧に全てを聞いた。メンバー、サポートメンバー、関係者、スタッフの方々全員に全て伺い、会話で成り立つようにしました。『茂木さんがこう言ったんですけれども、どうですか?』と細かく聞いていけば、もしかしたら、編集の中であたかも会話しているような形になるんじゃないか」と真実しか残らないようにインタビューを実施している。茂木さんは、監督の姿に対し「凄い繊細だ」と感じ取り「僕はほぼ完成するまで監督から誰がどういうことを喋っているというのは1回も映像は観たことがなかったんですよ」と明かす。初めて本作を観た時には「無茶苦茶ビックリしました。インタビューが始まる前に『カメラの前で1度だけ』と云ったんだけれども、仲間達がこんなに心の内を赤裸々に語ってくれてるとは、という思いでいっぱいになり感動しましたね。喋ってくれたメンバー皆に感謝しかない。手嶋監督がそこまで聞き出したエネルギーや情熱には絶対に愛があったと思う。本当に感謝しかないですね」と思いを伝えていく。完成した作品を毎日観ていた手嶋監督は「自分達で作っているんですけれども、どうしても最後の『ゆらめき IN THE AIR』が流れる瞬間は編集しながらいろんな思いが出てくる。グッとくるものが毎回ある」と印象深かった。

 

ほぼ全ての楽曲の作詞・作曲を担当していたボーカルの佐藤伸治さんは詞が先に出来ていた、というエピソードが本作では明かされる。茂木さんは「ほぼほぼ。特に3枚目のアルバム『Neo Yankees’ Holiday』という1993年に出たアルバムを作る辺りからは全て詞が先でしたよね」と明かし「佐藤君が『詞を先に書いているよ』とは言わないんですけれども。でも明らかに詞が先だった」と説く。当時、ファンクラブが発足し、ファンクラブの会報には自由にエッセイを書くコーナーがあり「佐藤君が自由に言葉を書いていたものが後々に歌詞になっている、というのがあった。エッセイから歌詞への落とし込み方や転作の仕方が尋常じゃない」と感動し「言葉ひとつとっても、メロディーひとつとっても、彼は本当に命を削ってたな」と印象に残っている。「誰かに届ける時、物凄く丁寧に作業してメンバーの前にデモを持ってくる」と受けとめており「歌詞とメロディー。それらを分かりやすくするための打ち込みの音が入っているものを提示してアレンジしながらレコーディングするプロセスに関しては一人一人のメンバーのアイディアに基本任せていましたね」と振り返った。同時に、メンバーが抜けていくについて「創作のやりがいのある場所からなんで抜けていくんだろう、と当時は本当に思っていた。きっとプレイヤーとしてもそれだけの自由な場所があってやりがいはあるはずなんだけれども。一人一人の葛藤みたいなものがこの映画から凄い感じてもらえる」と真摯に話す。

 

デビュー30周年を迎え、茂木さんは「佐藤君の作った楽曲は、古くなるとか懐かしいとかそういう類とは全然違う。常にどの時代においても輝きを失わずに響くもの」とLIVEをやり続けている基本の思いを訴え「僕自身がフィッシュマンズの音楽に救われている場面は生活の中で沢山ある。フィッシュマンズの音楽に、いつ、誰が、どの世代が、どういう風に出会っても良いように、これからも出来るだけ純度の高いまま届けられれば。LIVE活動はこれからも丁寧にやって沢山の人に音を届けられれば」と願っている。最近、アメリカでは『98.12.28 男達の別れ』が評価されていると聞き「凄く嬉しい。海外でLIVEする機会があったらいいな。そういう夢見る気持ちみたいなものも持っていようかな」と楽しみにしている気持ちも表す。

 

最期に、手嶋監督は「クラウドファンディングを起ち上げてから、3年近くフィッシュマンズの映画のためにスタッフ一同全力で作ってきました。勿論撮影も1年以上かかってしまったり編集も1年以上かかってしまって沢山の人達をお待たせする形になってしまったんですけれども、今日このような形で大阪の方達にも『映画:フィッシュマンズ』を届けることが出来て、本当に感謝しております」と気持ちを伝え「これからも映画の上映は続いていくと思いますので、もし満足して頂けたのであれば、また劇場に来てここでしか聞けないフィッシュマンズの新しいサウンド、映画の中で出るサウンドは違うと思いますので、これからも映画の応援含めて宜しくお願い致します」と願いを込めていく。茂木さんも「この映画はフィッシュマンズに関する映画なんですけれども、御覧になって下さっている皆さん一人一人の歴史に入っていっているような気がしています。皆さんの人生の中から、あの時ああいうことがあった、あの時ああいう選択をした、と思い出させるような映画なのかもしれない。皆さんが一つ一つ選んだり選ばなかったりしたことが今の皆さんの人生を作っているんだな、と感じさせる映画になっているんじゃないかな」と願っており「フィッシュマンズの映画でありつつ、みんなの映画であるような。フィッシュマンズの楽曲を皆さんの心の中で鳴らしているような。これからもフィッシュマンズの音が皆さんの生活の中で優しかったり厳しかったり様々な形で響いていくように、この映画もずっと響いていったらいいな」と現在の心境を伝えながら、感謝の気持ちと共に舞台挨拶は締め括られた。

 

映画:フィッシュマンズ』は、関西では大阪・梅田の梅田ブルク7や京都・七条の T・ジョイ京都や烏丸御池のアップリンク京都で公開中。

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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