1人の弁護士から台湾の記憶をたどるドキュメンタリー『湯徳章—私は誰なのか—』がいよいよ劇場公開!
©2024角子影音製作有限公司
日本統治下の台湾で生まれ、戦後のニニ八事件で市民を救った弁護士の湯徳章を追ったドキュメンタリー『湯徳章—私は誰なのか—』が2月28日(土)より全国の劇場で公開される。
映画『湯徳章—私は誰なのか—』は、日本統治時代の台湾に生まれ、戦後に起きた二二八事件の渦中で多くの市民を救った弁護士である湯徳章(トゥン・テッチョン)の生涯と人物像に迫ったドキュメンタリー。1907年に日本人の父と台湾人の母のもとに生まれた湯徳章は、警察官として働いた後、日本にわたって司法を学び弁護士資格を取得。その後、台南に戻り弁護士として活動した。1947年、二二八事件が勃発すると、彼は身を挺して混乱の収拾に尽力し多くの市民を守ったが、軍に逮捕され拷問を受け、台南市の中心部にある民生緑園で公開処刑された。二二八事件後、台湾では長きにわたる言論弾圧と戒厳令が敷かれるなか、事件にまつわる人や物事を語ることは禁じられ、人々の記憶の底に静かに封じられていった。台湾には湯徳章の名を冠した旧居や道路が残されているが、多くの台湾人は彼の人物像を知らない。映画では、湯徳章と関わりのあった人々の証言や記録をひもときながら彼の足跡をたどり、その人生の輪郭を浮かび上がらせていく。『湾生回家』のホァン・ミンチェン監督が、リェン・チェンフイ監督と共同で監督を務め、5年の歳月をかけて製作。当時を再現するシーンでは、映画監督・俳優のチェン・ユウチェーが湯徳章を演じた。

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映画『湯徳章—私は誰なのか—』は、2月28日(土)より全国の劇場で公開。関西では、2月28日(土)より大阪・十三の第七藝術劇場や心斎橋のkino cinéma心斎橋、兵庫・洲本の洲本オリオンや丹波のヱビスシネマ。、3月13日(金)より京都・烏丸の京都シネマ、3月14日(土)より神戸・元町の元町映画館で公開。
1945年、日本の敗戦により第二次世界大戦が終結。蔣介石主席率いる中華民国国民政府が、日本の統治下にあった台湾を接収した。当初、台湾住民はこれを歓迎したが、政府は、市民に賄賂を要求するなど腐敗しきっていた。また、日本語の使用禁止や台湾の自治延期といった政策、ハイパーインフレや疫病の波及等が起こり、台湾住民は失望や怒りを募らせていく。そして、日本統治時代の専売制度を引き継ぎ酒・タバコ・砂糖・塩等は全て政府によって専売されるが、中国本土ではタバコは自由販売が許されていたため、多くの台湾人がこの措置を差別的と考え、不満を持つしかなかった。そんな最中、1947年2月27日、台北市でタバコを販売していた女性を、官憲が摘発。女性は土下座して許しを懇願したが、取締官は女性を銃剣の柄で殴打し、商品および所持金を没収した。この女性に同情した多くの民衆が集まることになったが、取締官は民衆に威嚇発砲し、騒動に無関係な台湾人に被弾し死亡させてしまい、逃亡してしまう。この事件をきっかけとし、民衆の政府への怒りが爆発し、翌日に二二八事件が勃発したわけだ。そこで、この事件を納めるために尽力した方やどさくさに紛れて逮捕された方もおり、諸説あるが相当な数多の犠牲者がいる。その中で、湯徳章は身を挺して混乱の収拾に尽力したのだが、なぜ処刑されてしまったのか?されど台湾の近代史に欠かせぬ人物であり、生まれ故郷の台湾名には、名を冠した道路や住居が残されているのだ。だが、今となっては地元でも知る人が少ないようで、本作を製作する意義は大いにある。湯徳章の息子(養子)さん等、御親族を訪ねていき、丹念に取材を重ねていき、波乱に波乱を重ねた稀有な人生を今作では丁寧に編集したドキュメンタリーとなっている。日本の歴史を遡れば、事象が重なるような事件は起きており、今後も起きないとは限らない。だからこそ、2020年代中盤の現在に本作を鑑賞する意義は大いにある、と訴求したい限りだ。
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
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