いじめに悩まされてき2人の少女が復讐を計画する姿を描く『地獄でも大丈夫』がいよいよ関西の劇場でも公開!
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自殺を図るほどのいじめを受けた少女たちが、いじめのリーダーに復讐を計画する『地獄でも大丈夫』が12月14日(土)より関西の劇場でも公開される。
映画『地獄でも大丈夫』は、いじめによって地獄のような日々を過ごす少女2人の復讐の旅の行方を、スクールカーストやカルト宗教といった社会問題を盛り込みながら描いたガールズバディムービー。いじめに悩まされてきたナミとソヌは、クラスメイトとの修学旅行に参加しないで自殺を図ろうとするが断念。2人は死ぬ前に、自分たちをいじめた者たちのリーダーで、現在はソウルで幸せに暮らしているというチェリンに復讐するため、2人だけの修学旅行へ出かけることに。しかし再会したチェリンは、新興宗教との出会いによって女神のような善人に変わっていた。ナミとソヌは、チェリンが改心するきっかけになった怪しげな宗教団体の施設で過ごすことになるが…
本作は、韓国の名門映画学校である韓国映画アカデミー(KAFA)出身の新鋭イム・オジョンが長編初監督・脚本を手がけ、ナミ、ソヌ、チェリンの主要3役にはオーディションで選ばれた若手俳優オ・ウリ、パン・ヒョリン、チョン・イジュをそれぞれ起用し、ドラマ「涙の女王」のパク・ソンフンが脇を固めた。
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映画『地獄でも大丈夫』は、関西では、12月14日(土)より大阪・十三の第七藝術劇場、2025年1月3日(金)より京都・出町柳の出町座、1月25日(土)より神戸・元町の元町映画館で公開。
映画監督にとって「長編第一作」は特別な存在である。個々の作品が作られた状況や背景などは様々であるにせよ、ありったけのクリエイティビティと世界に対するステイトメント、作り手として過去に何をインプットし、それをどのように「映画」のアートフォームに結実させているか。デビュー作ほど、ありありと顕現化するものである。映画を「撮れる」監督は最初から撮れているし、「撮れていない」監督は何時までたっても出発点をぐるぐる堂々巡りしてしまう。イム·オジョン監督の初長編映画である本作は、見事なまでに「撮れて」いると断言していい。
まず、2人の主人公であるナミとソヌが心を通わせる序盤からしてキレがある。ショットの長短の適切な塩梅、ともすれば単調になってしまう切り返しシーンにおいても、それぞれの顔がどこにいるか、適切に配置されていた。さらにスクリーン内の立ち位置からなる高低差までもきっちりと計算した上で、ショットを連鎖させていく。一連のシークエンスが実に流麗で一気に引き込まれる。学校でいじめの標的とされ、まるで「終末世界にまともな人間は私たち2人だけ」とでも言いたげな絶望の中の交流は、切実さを伴った連帯だ。映画全体のセットアップにあたる場面をここまで詩性を湛えてロジカルな演出に落とし込んでいる手腕に恐れ入った次第である。
物語は2人をいじめていた主犯格となるチェリンへの復讐のためソウルへと向かうが、演出も冴えわたっていた。不安と共に夜行バスに揺られるシーンから一転、朝を迎え初めて都会へ出てきた高揚感、家族から離れることができた束の間の解放感が殊更に台詞で説明することなく、光量のギャップとテンポ感をアップさせた短いカットの積み重ねで表現されている。言葉ではなく映像の話法によって語りを進めていくという映画の醍醐味があった。
本作は、思春期の真只中にある青春の煌めきをキャプチャーしたものか、と思われるかもしれない。実際、その感触は概ね的を得ている。しかし、作品のトーン&マナーが犯罪サスペンスのような色合いに変化していくから驚きだ。バイオレンス描写を織り交ぜた緊張感ある展開は韓国映画が得意とする手法だが、イム·オジョン監督もこの“お家芸”を如才なく見せてくれる。まるでラップミュージックのビートスイッチかの如く、異なるジャンルへと飛び移る大胆さもさることながら、それを実際にモノにする演出技量に感心する次第であった。
映画としての「確からしさ」に満ちた本作には、同時に作り手からの強いメッセージが込められている。だが、詳細に関しては実際に映画館で観て皆さんに感じ取ってほしい。一つだけ言わせてもらえば、やはり人生はどこにいるかより、誰といるかが大事だ。
fromhachi
- キネ坊主
- 映画ライター
- 映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
- 現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
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