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三里塚の農民とともに国家権力と闘った若者たちの“あの時代”と“その後の50年”を語る。『三里塚のイカロス』代島治彦監督迎え舞台挨拶開催!

2017年11月19日

成田国際空港建設への抗議として1960年代半ばに巻き起こった三里塚闘争と、運動に関わった人々の現在を描くドキュメンタリー『三里塚のイカロス』が、11月18日(土)より大阪・十三の第七藝術劇場で公開。11月19日(日)には、代島治彦監督を迎えて舞台挨拶が開催された。

 

映画『三里塚のイカロス』は、成田空港建設反対運動(三里塚闘争)で国家と闘った成田市三里塚の人々を題材にした『三里塚に生きる』の代島治彦監督が、闘争で農民とともに闘った当時の若者たちの人生を追っていくドキュメンタリー。1960年代からはじまった三里塚闘争で政府に抵抗する農民たちとともに闘うために、多くの若者が三里塚へと集まってきた。本作では、三里塚闘争の責任者という立場にいた者、農民と結婚した女子大学生、当時高校生だった活動員ら「かつての若者」たち自身の口から、あの時代、そしてその後の50年が語られていく…

 

上映後、代島治彦監督が登壇。挨拶と共に、前日に行った伊勢進富座での舞台挨拶について報告。本作について「当時の出来事を体験をした方と、全く当時を知らず生まれてもいない世代の方とでも様々な見方がある」と考えている。

 

代島監督は、他者の人生から自分の人生を見つめ返す映画に構成することを意図した。1960年代から70年代にかけて、内ゲバも含め多くの若者が亡くなり、三里塚でも同じ事態が起きていた。2013年5月に、三里塚の反対農家に嫁いだ1人の女性活動家が自ら命を絶った。監督は、彼女のお通夜に参列し「闘争に参加し結婚し子育てもして、40年少しを三里塚で生きてきたのに、何故、今死ぬんだ」と、やりきれない想いを抱いた。彼女は京都出身。プロレタリア青年同盟という党派に所属する女性のリーダーとして、三里塚の農家に嫁ぎ、反対運動の先頭に立った。彼女の家は、2006年に三里塚の辺田部落で一番最後まで頑張っていたが移転を決断。移転を決めたことで彼女はうつ病を患い、昔の同志にも顔向けできない気持ちを手紙に綴り、鬱々とする中で自ら命を絶った。現在、成田空港周辺では飛行機が飛び交う真下で多くの住民が暮らしており「昔の出来事に蓋をしているように見えながら、心の深い闇に傷を抱えながら生きている」と監督は、前作の『三里塚に生きる』を撮り始めてから5年間も三里塚に通う中で、住民の気持ちを受けとめている。

 

今作を作るにあたり、代島監督は「特に、外部から三里塚に入った若者達がどのように活動し、国家権力と戦った農民達とどのような関係の中で歴史を作っていったのか」を、もう一度描きたかった。当時の出来事について「しっかりと捉え返すことで新しい動きや芽吹きが出てくる。当時関わった方達が行ったこと、あの時代の記録をもう一度残したい」という一心で制作した。当時の死者を見つめていく中で「人生を懸けて戦った人達がいたことは凄く大事なこと。結果的に、時代そのものに翼が生えたような60年代から70年代にかけて、多くの不幸な出来事や悲劇が起こり、(イカロス的に言えば)時代が墜落した」とも表現する。視点を変えれば「何故、飛ぼうとして墜落したのか。改めて考え直さないと、もう一度飛べない」と訴える。

 

本作では、新左翼党派の人たちが命懸けで当時の国家権力や時代に戦いを挑んでいった様子が描かれる。代島監督は「彼らは命懸けで戦ったが、その意味が何だったか。もう一度掘り返さないといけない」と呼びかける。現代が歩んでいる道を鑑み「もう一度、あの時代が命懸けでやろうとしたのになぜ失敗したか、しっかりと問い返し、将来、なぜあの時に命懸けで戦わなかったのかと悔やまないような時代にしたい」と願う。最後に、本作について「重くて苦い作品だが、自身も含め、もう一度自分はどう生きるべきかをこの映画をきっかけに考えてほしい」と想いを託し、感謝と共に舞台挨拶を終えた。

 

映画『三里塚のイカロス』は、大阪・十三の第七藝術劇場で公開中。また『』公開記念として『特集「三里塚とあの時代」』と題して、『三里塚に生きる』『日本解放戦線・三里塚の夏』『三里塚・辺田部落』の3作品が11月25日(土)より日替わり上映される。なお、12月23日(土・祝)から神戸・元町の元町映画館でも公開。京都・烏丸の京都シネマでも順次公開予定。

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する
映画好き。映画ライター講座を受講し
関西の映画情報サイトを中心に執筆