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『バンコクナイツ』公開記念ナイト!富田克也さん 相澤虎之助さんが空族の描く世界を深く語る!

2017年5月4日

4月29日(土)より、京都・東寺の京都みなみ会館で映像制作集団である空族の最新作『バンコクナイツ』が公開されている。みなみ会館では『バンコクナイツ』の公開を記念し、オールナイト上映企画を2夜開催した。第1弾は4月22日(土)に「『バンコクナイツ』公開記念ナイトVol.1」を開催し、相澤虎之助さんが脚本に携わる『菊とギロチン』の瀬々敬久の4時間38分の自主企画映画『ヘブンズストーリー』と空族による『サウダーヂ』を上映した。5月3日(水)開催の「『バンコクナイツ』公開記念ナイトVol.2」では、空族作品を一挙上映。『バンコクナイツ』に繋がる『花物語バビロン』、『バビロン2 -THE OZAWA-』、『RAP IN TONDO の長い予告編』、『チェンライの娘』『サウダーヂ』を上映。また、空族の富田克也さんと相澤虎之助さんを迎えて、『バンコクナイツ』をより深く知ることができるゲスト・トークが繰り広げられた。

映画『バンコクナイツ』は、バンコクの歓楽街で働くタイ人娼婦と日本人の男たちが織り成す、失われた楽園を取り戻すための旅を描いたロードムービー。バンコクにある日本人専門の歓楽街タニヤ通り。タイの東北地方イサーンから出稼ぎに来て5年になるラックは、現在は人気店「人魚」のトップにのぼりつめ、ヒモの日本人男性ピンを連れ回し贅沢な生活を送る一方で、故郷の家族に仕送りをしていた。ある晩、ラックはかつての恋人である元自衛隊員オザワと5年ぶりに再会する。ラックとオザワはそれぞれの思いを胸に秘めながらバンコクを離れ、ラオスとの国境にあるラックの故郷へ向かうが……

花物語バビロン』、『バビロン2 -THE OZAWA-』上映後、空族の富田克也さんと相澤虎之助さんが登壇。当日参加したお客さんの中には既に『バンコクナイツ』を鑑賞している方が多く、それらを踏まえてトークを展開。まずは、富田さんが相澤さんと空族を結成することになる出会いのきっかけを話し出した。「僕らが学生時代を抜け出すギリギリの頃、自主映画を互いに別のチームで撮っていた。京都出身の友人に紹介されて、東京のなかのZERO(ホール)で相澤らが開催した『花物語バビロン』自主上映会に行った。最初に分厚いレジメを受け取った上で、作品を観始めて、なんだこりゃとビックリしたが、作品の意味がさっぱりわからなかった。とはいえ、あんなところまで行ってこんな映画を撮っている人がいることに驚いた」と当時を振り返る。

花物語バビロン』は相澤虎之助さんのライフワークとなる「アジア裏経済3部作」の1本目だった。相澤さんは「『花物語バビロン』は20年前に製作した。当時、バックパッカーでアジアを巡っていた。様々な街に降り立つと、トゥクトゥクと呼ばれる3輪タクシーが寄ってきて運転手が必ず3つのことを聞いてくる。”お前はドラッグは要るか?女は要るか?銃を撃つか”とやたらに。アジアの裏経済にはこの3つが回っているんだな、と感じた。ここから着想を得て歴史の勉強や戦争の勉強をし、裏経済3部作を撮ろうかな」と早稲田大学映画研究会に所属していた相澤さんは、ゴダールに憧れ真似するように作ったことを振り返る。「今憶えば本当に恥ずかしいが、これが空族の作品で一番古い作品。アジア繋がりで上映させて頂いた。アジア裏経済3部作として、麻薬・戦争・売春テーマとした3部作。ドラッグ、アヘンについて調べ『花物語バビロン』をつくり、ベトナム戦争について描いたのが『バビロン2 -THE OZAWA-』」と説明し、相澤虎之助監督作品として3作目はこれから撮る予定だ。

富田さんは、なぜ東南アジアの各国に歓楽街が点在しているのかを説く。それは「ベトナム戦争に原因があった。ベトナム戦争に従軍していた兵士たちの保養と休暇(レスト&レクリエーション)を目的として、アメリカの同盟国であるベトナムの周辺国が米軍によって無理やりレスト&レクリエーション条約を結ばされた。タイ政府やフィリピン、当時の沖縄がそういう施設を引き受けるようになり、『バンコクナイツ』に登場するような歓楽街が広がっていった」という。
富田さんと相澤さんは知り合って行動を共にするようになり、初めて共同脚本で『国道20号線』を製作し公開したのが2007年。当時、35歳だった富田さんは日本を出たことがなかったが、相澤さんと出会い、作品の中にタイというキーワードが入り始めていた。撮影後に、さらにお互いを共有すべく、相澤さんから一緒に東南アジアへ旅に出ないかと誘われ、富田さんが初めて降り立った外国がカンボジアだった。その当時の状況について、富田さんは「今でこそ地元の人たちが立ち上がって駆逐していっているが、当時のカンボジアには幼児売春があった。欧米の大きなおじさんが現地の小さな女の子と手を繋いで歩き去っていた風景が当たり前だった。僕の人生観や価値観が崩れ去った体験だ」と振り返る。

また、富田さんは、当時のバンコクについても解説。「東南アジアに深く入り込んでいこうとすると、バンコクにある空港がハブになった。バンコクでの乗り換え時間があり、1泊していた。その夜にバンコクを歩き回り、初めてタニヤ・ストリートに降り立った。日本語の看板がずらっと並ぶ『バンコクナイツ』で描いた世界が目の前にあった。ここでいつか必ず映画を撮ろうとお互いが胸に秘め、思いを共有し始めた」と明かす。相澤さんは「バックパッカー時代、タニヤ・ストリートには行ったことがなかった。なぜならば、駐在員やお金持ちの観光客が行く場所で、バックパッカーはあまり行かない」と述べる。これを受け、富田さんは「タニヤ・ストリートは、一言で言えば高級な場所。日本人専門の歓楽街で、’70年代の高経済成長時代に日系企業がアジアに進出していく中で、日本から来た企業の駐在員を相手に広がったのがタニヤ・ストリート。結局、武力を以って侵略していくのか、経済を以って戦略していくか、二重の侵略が続いているんだな」と補足説明する。相澤さんは「現地の光景を目の当たりにし、本で読んだ世界の縮図がそのままあったと感じた。見ているこっちが混乱してしまう不思議な感覚があり、ショックだった。一つの風景に風化させてはいけない」と思った。

ここで、富田さんは「実は『サウダーヂ』よりも前に『バンコクナイツ』が僕らの頭の中にあった。『サウダーヂ』はあの時期あの瞬間にやらなければならなかったので、先に製作した」と明かす。相澤さんは「『サウダーヂ』でもタイから山梨に出稼ぎに来ている方々が登場する。山梨でもパブで働いている女性たちに出て頂いた。逆に東南アジアを旅した視点があったから、日本の地方都市にも世界の縮図が見えてくる」と自身の映画の作り方を話す。「TVで流れない地方都市のリアルがある、と言われたが、それだけで終わらせてはいけない。気付けばコンビニでアジアの方が働いているのが当たり前の風景になっている。それを社会問題を描くドキュメンタリーとして扱われているが、今生きている世界と地続きになっている感覚を日常の中で失っていってしまう。それは今でも好きじゃない」と述べる。

富田さんは『サウダーヂ』の後に制作した『RAP IN TONDO の長い予告編』についても解説した。「『サウダーヂ』を撮り終わった後、とある夜中にstillichimiyaのYoung-Gから電話がかかってきた。国際交流基金から、フィリピンの首都マニラにある東南アジア最大のスラムと言われるトンド地区に
ヒップホップのワークショップをしに来ませんか、とstillichimiyaのトラックメイカーのユニット「おみゆきCHANNEL」にオファーがあった。トンド地区は、毎晩、銃撃戦がどこかで行われている危険な地域の中にあるスラム。現地の元ギャング・グループのボスであるシルバート・マニュエルがリーダーを務める「TONDO TRIBE」が、貧困な地区で子供たちが悪に手を染めていく動きを止めるために、ヒップホップを介して子供たちの自立を促していこうという内容」だった。富田さんは「Young-Gから電話をもらい、そんな地区に滅多に入れるものじゃないだろうと思った。ぜひ空族としてその模様を撮らせてほしいと国際交流基金の人たちにお願いしてもらい、快諾してもらった」と話す。「トンド地区に入り込んで彼らと生活を共にし信頼関係が生まれて仲良くなり、後にTONDO TRIBEに『バンコクナイツ』に出演してもらった。『RAP IN TONDO』を完成させようと思って編集していた当時、爆音映画祭の樋口さんから空族特集を企画して頂いていたが、急遽編集し完成版ではなかったで、『RAP IN TONDO の長い予告編』になった」と明かす。

RAP IN TONDO の長い予告編』の後には、吉本興業出資によるオムニバス映画『同じ星の下、それぞれの夜』の企画があり、吉本興業が開催する沖縄国際映画祭のなかに新人監督にテーマを以って撮ってもらう内容だった。作品のテーマはアジアテーマであり、参画した冨永昌敬監督と真利子哲也監督が話を頂いた場所がフィリピンとマレーシアとタイだった。富田さんは「タイだったら、空族がいいんじゃないかと誘ってもらった。『バンコクナイツ』のテストケースとしてやらせてもらったのが『チェンライの娘』」と明かした。「金城という役で川瀬陽太さんに主役を演じることを頼んで出演してもらった。タイ人役の女性には『サウダーヂ』に出ていたチェンライ(タイ北部)出身のAIさん。「チェンマイの娘」というタイの有名な曲に準えて『チェンライの娘』にした。金城というキャラクターが初めて登場し、そのまま『バンコクナイツ』にも登場した」と述べる。「同様に『バビロン2 -THE OZAWA-』でオザワというキャラクターが登場している。オザワが初めて登場するのは『国道20号線』。そういった形で空族特集をやって頂く時に、僕たちが必ず前振りとして言うのは、同じチームで20年近く間映画をつくり続けてきた。つくっていくものは、必ず1本1本どこかで関連していったり
違う役者が同じオザワを役を演じたりする」と富田さんは話す。これを受け、相澤さんは「名前は一緒でも、キャラクター自体は変わっていく。僕たちが年を重ねる毎に段々違う肉付けがなされていく。バックボーンが同じでも違うタイプの人間の場合がある。自分たちの中で変化を見せている」と述べた。

ここで、お客さんからの質問を募ると、タイと周辺国との違いや関係について問われた。相澤さんは「東南アジアの中央にタイがあって、ラオス、カンボジア、ベトナム、ミャンマーがある。タイはいわゆる西側諸国。ラオス、カンボジア、ベトナムは東側諸国で共産圏の違いがある。ベトナム戦争当時、タイの国境線は西側諸国から見れば、反共の砦だった」と説明する。これを受け、富田さんは「娼婦・楽園・植民地が『バンコクナイツ』のテーマ、『サウダーヂ』では土方・移民・ヒップホップがテーマだった。実は、タイ自体は正式には植民地にはなったことがない国で、武力を以って植民地化されたことがない。とはいえ、知れば知るほど事実上は植民地だと思えてくる。東南アジア全てが共産化するのを防ぐためにアメリカが手を突っ込んできた。タイは二枚舌外交だと揶揄されるように、どちらにもいい顔して波風経たないようにしてきた」と補足説明する。

『バンコクナイツ』の製作を始めた当時について、富田さんは「まずはバンコクの夜からリサーチを始めた。タクシー運転手や娼婦らと話していくと、彼らの80%以上はイサーン地方から来た人達だった。イサーンを初めて知ったが、イサーンに興味を持ち始めると同時に音楽も掘っていた。グッときた音楽が悉くイサーン地方から発信されていた。音楽とバンコクの労働力が輩出されている地であり、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督がずっとテーマとしている地でもあった。この3つの符合があってイサーン地方に行った」と振り返る。相澤さんは「イサーン地方はラオスとカンボジアが共生している西側の防波堤としての最前線の場所」だと説明。富田さんは「元々カンボジアとラオスとタイの3ヶ国で国境を取り合う小競り合いがあった。イサーン地方はかつてラオスだったが、今はタイに編入されている。だから、イサーン地方はラオスの文化があり、ラオスの言葉を話す。イサーン地方を調べていくと、ベトナム戦争では最前線基地としてたくさん作られており、戦争の情勢の中で、タイが生き残りをかけて攻め込んでいく場所だった」と説く。「イサーン地方から発信されている音楽は歴史的背景もあり、自分たちを鼓舞するための音楽でもあるから音楽に合わせて強烈に踊る。タイは自分達が嫌だと思うことは素直に嫌だと言ってすぐに立ち上がる人達が集まっている。楽しいことが好きで、楽しいことが奪われることになると立ち上がる」と富田さんは感じている。

富田さんは『バンコクナイツ』を撮り終えて、敬虔な仏教徒の国であると大いに感じているという『バンコクナイツ』の主人公を演じた女性はバンコクの下町に住んでいる。空族もその辺りに基地を構えて交流を重ねていった。ある時、大都会バンコクの片隅にある貧しい人たちが住むエリアで子どもが産まれた。お父さんはどこかに行った、お母さんは稼ぎに行かないといけないと状況下で子どもはどうするのか、ということになった。タイは母系社会で、女性の血のつながりで一つ屋根の下で大家族が住んでいる。そんななかで、その子供を引き取って育てるという家庭が現れた。富田さんはビックリして、思わず質問したが「そんなの当り前じゃない、どうするのこの子を」と一言で返されたという。富田さんは「かつて日本もおそらくこのようなタイに近い共同体があったのではないかと想像する。アジアには当たり前に昔からどの国でもあったことだと、ハタと気付いた。僕たちは東南アジアを歩き回り、多くのことを学ばせてもらった。日本もアジアの一部なんだなと相対化し現在に至る」と語る。これを受け、相澤さんは「国は分かれているけど、地続きで人々が混ざっていて、移民がいっぱいいる」と補足する。富田さんはASEAN経済共同体(AEC)の発足があった後に、タイの日本領事館の方に「AECを契機に国境の意味合いが薄れ、国境の行き来が楽になり、先祖返りが起こっている、と。分けられてしまった国境で苦しいながらに生きているよりも、本来自分のルーツがあった方に戻り、自分達に近い言語や習慣を持っている人達の土地に戻って固まる動きが実は起こっている」と聞いたという。

また、お客さんからは、出演者との関係の作り方について聞かれた。富田さんはその難しさを話す。「出演して頂いた女性らは現地で現役で働いている。まずは、タニヤで顔を覚えてもらうところから始まる。映画を撮りたいことを言い始めてもなかなか信じてもらえない。忘れられないように、ひたすら通い話をして、経営者側の方々も巻き込んで、徐々に進めていった。一番わかりやすく、これは伝わったと思ったのは[プア・チーウィット](直訳で”生きる為の歌”)と呼ばれるというプロテストソングのジャンルが流れると、彼女たちが一斉に立ち上がって熱狂した。どんな映画を作るのか問われ、人生のための映画を意味する[ナン・チーウィット]を撮ると言ったら話が早く進んだ。苦労し辛い思いをして生きて頑張っている内容の映画を想起してくれた」と明かす。これを受け、相澤さんは「僕たちはまずは友達になる。最終的に友達が映画に出るということなる。そういう人達とは今でも付き合いが続いている。家族を含めた彼女たちと長い付き合いになることに結果的になっている」と話す。富田さんは「今までの作品に出て来てくれた人達がまた続々と次の作品にも様々な役として出演してくれることになっていく。それが僕たちの映画作り」と述べた。最後に、富田さんは「今回の内容を踏まえて、細かいところに注目していくと、さらに空族の作品を楽しむことができる」と締め括った。

映画『バンコクナイツ』は、京都みなみ会館で5月26日(金)までの上映。5月6日(土)から5月12日(金)までは16時5分~、5月13日(土)~5月19日(金)までは14時20分~、5月20日(土)・5月21日(日)は13時10分~、5月22日(月)~5月26日(金)は19時30分~の上映となっている。また[『バンコクナイツ』公開記念 Vol.3]として、『サウダーヂ』を5月22日(月)~5月26日(金)の5日間限定で16時20分から上映される。

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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