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シネ・ヌーヴォ20周年記念企画第1弾「没後十年 黒木和雄映画祭」開催

2017年1月1日

今年の1月18日で開館20周年を迎える大阪・九条のシネ・ヌーヴォが20周年記念企画第1弾として「没後十年 黒木和雄映画祭」が1月2日(月・祝)より開催される。

黒木和雄監督は、母親の実家・三重県松阪市に生まれ、兵庫県神戸市、宮崎県飯野町(現えびの市)を経て、5歳のときに父の仕事先満州に家族と渡り、少年時代は満州で育った。1942に年日本に戻り、中学から祖父母の住む宮崎県えびの市で育つ。高校時代の恩師の勧めで同志社大学に進学し卒業後は、岩波映画製作所へ入社。1958年に短編『東芝の電気車輛』で監督デビュー。その後も主にPR映画を監督するが、火力発電所の宣伝映画でありながら前衛的な表現に訴えた『海壁』(1959年)や『ルポルタージュ 炎』(1960年)、アラン・レネ監督の影響を受けた北海道のPR映画『わが愛 北海道』が異色のドキュメンタリーとして注目される。1962年に退社してフリーとなり、東京オリンピック前の君原健二を追った『あるマラソンランナーの記録』(1964年)を監督するが、製作の東京シネマ首脳部と対立してPR映画という枠組み自体に限界を感じたため、以降は当初からの望みであった劇映画の世界を目指す。1966年の初の劇映画『とべない沈黙』は、東宝で制作したが、その前衛的な作風のため公開中止となり、ATGの配給で公開された。以降、ATGを製作基盤として精力的に作品を発表し、1970年代半ばの『竜馬暗殺』や『祭りの準備』は迸る青春群像を描き、熱狂的なファンを生んだ。1988年に原爆を主題とした力作『TOMORROW 明日』を発表し芸術選奨文部大臣賞を受賞。2006年4月12日、脳梗塞のため死去、享年75歳。2006年8月12日に公開を控えた『紙屋悦子の青春』が遺作となった。

反権力を貫き、徹底的に自由を愛し戦争を憎んだ映画監督が黒木和雄であった。商業主義から遠く離れ悪戦苦闘しつつ作り続けたその映画の軌跡は、映画を志す若者たちを鼓舞し圧倒的な影響を与えた。

シネ・ヌーヴォにとっては、1997年1月の開館の際に顧問に喜んで就任し、山また山の厳しいシネ・ヌーヴォの経営情況に対し、亡くなるまでいつも励まし続けた大切な存在だった。これまでも何度も徳重上映が企画されてきた程、シネ・ヌーヴォにとっても重要な監督である。

今回、没後十年を契機に、黒木監督の思いを描いたドキュメンタリー『映画作家 黒木和雄 非戦と自由への想い』公開とともに、今こそ見たい、黒木和雄監督劇映画全作品などが一挙上映される。

上映作品は以下の通り。

『あるマラソンランナーの記録』(1964年)

『とべない沈黙』(1966年)

『キューバの恋人』(1969年)

『日本の悪霊』(1970年)

『竜馬暗殺』(1974年)

『祭りの準備』(1975年)

『原子力戦争』(1978年)

『夕暮れまで』(1980年)

『泪橋』(1983年)

『TOMORROW/明日』(1988年)

『浪人街』(1990年)

『スリ』(2000年)

『美しい夏キリシマ』(2003年)

『父と暮らせば』(2004年)

『紙屋悦子の青春』(2006年)

『かよこ桜の咲く日』(1985年)※参考上映 TV作品

『映画作家 黒木和雄 非戦と自由への想い』(2016年 後藤幸一監督)

「没後十年 黒木和雄映画祭」は1月2日(月・祝)から1月20日(金)までの開催。1月7日(土)と1月8日(日)には後藤幸一監督をゲストにトークショーが行われる。

キネ坊主
映画ライター
映画館で年間500本以上の作品を鑑賞する映画ライター。
現在はオウンドメディア「キネ坊主」を中心に執筆。
最新のイベントレポート、インタビュー、コラム、ニュースなど、映画に関する多彩なコンテンツをお伝えします!

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